双極片耳etc.ママのひとりごと

気ままに呟きます

心のトリガーとの対峙 ~子育てを通じて見つめ直した自分の心~

最近の悩みがあって…

ふとしたところで、子供にイラっとしてしまうことがあってとても悩んでいました。

 

ある日、いままで順調に進んでいた離乳食を拒まれたのです。

それに私が発狂してしまいました。

 

離乳食って手作りするのも大変で、料理するのは好きなはずなのに、それでも面倒に感じてしまって…

やっと、重い腰を上げて頑張って作ったのに拒否されてしまって心折れました。

 

その話を、帰宅した夫に話しました。

夫は、

『大人の僕たちだって、お腹がすいていなかったら食べたくないし、食べたくないものだったり、気分じゃなかったら、食べたくないでしょう?』

『その時は、お腹がすいてなかったんだよ。もしくは、気分じゃなかったのかも。』

 

と言われて、私はハッとさせられました。

私は、「食べてほしい」、「食べるのが当たり前」と無意識に考えてしまっていたのです。

今思うと、子供の気持ちも考えられずに自分勝手な考え方だと思います。

 

「私と子供は、別人格である。」ということを大事にしたいと思ってきたけれど、日常生活に揉まれているうちに、自分の思いだけを子供に押し付けてしまっていたようです。

 

【子供との関係が変わる 自分の親に読んでほしかった本】フィリッパ・ペリー著

を読んで、意識が変わりました。

 

この本では、自分の幼少期に親にされたことを、自分も無意識のうちにしてしまう。または、子供のころのトラウマや嫌な記憶を引っ張り出してきてしまう。とありました。

 

自分の幼少期の過去を振り返り、認識し、意識して自分の思考や行動を変えていくしかないのです。

 

私は機能不全家庭で育ちました。

幼少期から、親の顔色をうかがいながら生活していました。不倫する父、それによって機嫌の悪い母。 

モラハラで経済的DVをしてくる父に何も言えない母。

父の不倫の詳細を子供の私に話す母。

母が機嫌が悪いのは、階段を上る音、物をどすっと置く音…すぐにわかるのです。

 

離乳食を食べたくないと拒まれたとき…

自分の幼少期の情景が浮かんで、イラっとしてしまったのかもしれません。

『食べたくない』というと、食卓に何時間でも座らされていた幼少期の情景が浮かびました。何とも言えない嫌な感情でした。

 

『食事を食べたくない』と言えなかった私は、今、目の前で、『食事を食べたくない』と泣きじゃくる子供を見て、羨ましかったのかもしれません。

もしくは、「食事は文句は言わずに食べるもの」と親から植え付けられたものを、当たり前と思ってしまっていたのです。

無意識に、子供にも自分と同じ体験をさせて、嫌な、負の感情を受け継いでしまうところでした。

 

私は、

❝子供と私は別人格❞

❝自分と同じような負の体験はさせない❞

❝受け止める❞

❝大好きだよと伝える❞

 

ことを大切にしていこうと思いました。

この本を読んで、自分の幼少期の負の感情や負の記憶を認知して、整理することで

子供には私と同じ思いはさせないぞ!と決意できました。

 

それからは、子供とも毎日笑って過ごせています。

 

最近は双極の波が落ち着いてきていて、イラっとしたりするのが双極ではないところに原因があることが多いです。

双極は、フラットなことが多く安定しています。

機能不全家庭で育ったことなどの、過去のトラウマが自分の感情に大きくかかわっていたことを知りました。

今までは、私が双極だから。と思っていましたが、双極とは別なところにも色々とトリガーが落ちていることに気が付きました。

今まで、心のパンドラの箱に詰めていた、嫌な記憶、負の記憶を引っ張り出して見つめ直すことはとても苦しかったです。

でも、見つめ直すことによって、自分のトリガーを理解して避けられるようになったり、トリガーが発動しても心の暴走を防止できているように感じます。

 

私には私の苦しみが、あの人にはあの人の苦しみがあると思います。

今の私は昔のトラウマに向き合えたけれど、まだ傷が癒えていない人はいきなり心のパンドラを開けるのは厳しいかもしれません。

 

体調が、メンタルがいつも良いとは限らないので、

今日できる範囲でのベストを積み重ねていきたいですね。

 

これからも心がざわついても、ここを振り返ってフラットで、ニュートラルな自分でいられますように。